こうして結局、二人を中へ入れることになってしまった。
キッチン兼ダイニング兼リビングの十畳と、六畳のもう一部屋。六畳の自室へは人を入れたくなかったので、いわゆる居間へ二人を座らせ、テレビをつけた。母の寝床でもあるそこは、布団やら母の洋服やらでごったがえしており、長身の二人には少し狭そうに見える。
「前の家より狭いな。生活保護は受けてんだろ?」
「打ち切られた」
「打ち切られた? なんで?」
「子供が私立の高校に通ってるから」
「そんなんで打ち切られるのか?」
「知り合いの人に車借りて運転してるところを市の職員に目撃されて打ち切られたって話も、聞いたことがある。生活に困窮しているとは認められないってさ。車は贅沢品なんだって」
「でも人に借りたもんなんだろう?」
「いくら説明してもダメ。一度打ち切られたモノはなかなかね。間違いを認めないのよ。役所ってそういうところ」
「で? お前んところは? お前が私立の高校に通ってるから生活には困ってないだろうってワケ?」
「そういうワケ」
「それで納得?」
聡の声を無視して、美鶴は自室の襖を閉めた。
納得するワケないが、仕方がない。世の中とは、そういうモノだ。
襖の向こうの会話はまる聞こえ。
「君は、大迫さんとは友達?」
「友達ってもんじゃねーよ。小さい頃は隣同士だったんだ。俺んちが離婚して俺が引っ越すまではな」
「へー」
「そういうそっちこそ、美鶴のこと知ってるみてーじゃねぇか。お前だろ? 二組の転入生って。えっと……ルーク……」
「ルクマ」
「へ?」
山脇の言葉に、美鶴は着替えの手を止める。
「瑠駆真。山脇瑠駆真。ルークじゃないよ」
「るくま? 変な名前だな。ハーフってのはマジ?」
「マジ」
確かに変わった名前だ。一度聞いたら忘れないだろう。同じ学校内にいたら、絶対記憶に残りそうだ。だが、美鶴の記憶の中に、山脇瑠駆真という名前はない。
「ふーん。で? なんで美鶴のこと知ってんの? 知ってるよね?」
「同じ中学校だったんだ。僕は二年のときに転校しちゃったけどね」
「で、また転校?」
「片親がいないといろいろあるんだよ。君だってそうだろう?」
別に機嫌を悪くしたワケではないようだが、聡は何も答えなかった。山脇が再び口を開く。
「引越しはいつしたの?」
「あ? あぁ、小学三年だな」
「じゃあ、大迫さんとはそれっきり?」
「いや、学校は違ったけど自転車で行き来してたよ」
と言うか、ほとんどは聡が美鶴の家へ行っていた。
「ふーん」
「何で?」
「いや、今日さ、あの駅舎で会った時、ひどく驚いてたというか。半分呆然としてたみたいだから」
「俺が?」
「君もそうだし。大迫さんも」
聡の声にため息が混じる。
「あぁ、美鶴もそんなカンジだったかな? 俺としてはさ、まさか本当に美鶴だとは思わなかったしさ。こんなところで会えるとは思ってなかったし」
ゴソリと物音がする。
「あいつ、高校入学前の春休みに突然引越しちまったんだよ。何の連絡もないからどこ行ったのかわかんなくって。市内の高校とか調べたけどどこにもいねーし。就職した様子もないし。正直焦ったよ」
「焦った?」
「あ、いや……、焦ったというか、びっくりしたんだ。今まで何にも言わねーでいなくなるなんてなかったからよ。だからさ、まさか同じ学校になるなんて信じられなくってさ。それに……」
聡はそこで口を閉じる。
「それに?」
「あぁ、それに、噂もヘンだったし―――」
「噂?」
「成績を鼻にかける気に食わない女って噂。とにかく学校中のヤツらから嫌われてるってカンジ」
「それ、僕も聞いた」
二人はしばらく口を閉じたようだった。テレビからの賑やかな笑い声が、冷えた室内に白々しい。
美鶴は、どんな顔をして出て行けばよいのか迷ってしまった。着替えなど、とっくに済んでいる。
昔の私………
それは、ひどく幼稚でおバカな存在だ。自分だと思いたくもない。
「正直なところ、今でも本当だとは思えないよ。思いたくもない。でもさっきからのあの冷たい態度を見てると、噂は本当っぽいね。嫌われるのも当然だな」
「どうしちまっただか」
聡の声が、心なしがイラついている。
「高校に入ってから何かあったのか? そもそも、こんな高校に入るってこと自体、あいつらしくねーしよ」
「そうなの?」
「そうだよ。あいつ、おばさんが大変だから中卒で働くって言ってたんだぜ。おばさんは高校へ行かせたかったみたいだけどよ」
「それが実際には名門の私立高校」
「あり得ねーよ。いつの間に受験してたんだよ。そんな素振りは―――」
一瞬、言葉が途切れた。
「そういえば、中三の夏過ぎあたりに、あいつの机の上で高校の受験案内見たな。高校受験すんのかって聞いたら、裏紙で使うって言ってた。まぁ、ほら、あいつんちはそんな金持ちじゃねーだろ。だから学校のプリントとかをノート代わりに使ってることはあって、俺も気にしてなかったんだけど……あ、そういえば」
聡は思い出したかのように声をあげる。そして、そのまましばらく無言だ。
「何?」
痺れをきらした山脇が先を急かす。
「あいつ、冬に失恋したんだ」
美鶴が勢いよく襖を開けたので、会話はそこで途切れた。
「美鶴」
すっかり足を崩して寛ぐ聡の言葉を遮るように、美鶴は口を開く。
「うち、緑茶とかってないの。コーヒーでいい?」
その強い口調に、二人は無言で頷いた。
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